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ローカルベンチャー

祖母の生きた家で、…

【軒下図書館 ノキシタトショカン】 チャールズ・裕美さん

学生時代に過ごしたおばあちゃんの家が帰る場所となった。

 小学校の教員だった祖母の西粟倉の家の2階には、近所の子どもに開放された「軒下図書館」があった。裕美さんは祖母の家に行くたびに、その部屋に泊まり、豆電球をつけて夜中までこっそり本を読むほど、そこが大好きだった。

 私のおばあちゃんは 、「ピアノを弾いていて、紺色のドレスを着ていて。すごく素敵な人だった」と、近所の祖母の生徒さんや知り合いのお嫁さんから聞いていました。

 私といえば、学校でたまたま奨学金を頂けたこともあって、17 歳の時から 2 年間アメリカに留学しました。そのままアメリカで 4 年制大学を修了、就労ビザで働いて結局計 7 年間を過ごしました。滞在中の教育費は、教育熱心だったおばあちゃんが支援してくれていたようで、経済的にも精神的にも私の基盤作りをおばあちゃんに助けてもらいました。

 その後、英語の仕事を探して妹のいる東京で 2 年ほど働いたこともありますが、しっくりこず、友人を訪ねてロンドンへ。そして夫のオリビエと出会い、子どもが生まれました。

 ロンドンも当初 1 年滞在の予定が、11 年いたことになります(笑)。ただ子育てに私がけっこう苦労しているなか、オリビエの仕事が忙しくて子どもと触れ合う時間がなかったので、日本で実家の母に手伝ってもらい、夫婦で子どもと向き合う時間を増やせないかと考え始めました。父が「おばあちゃんが亡くなって、空き家になってるからここに住んでもいいよ」と言ってくれたこともあり、 2 人目の子どもができたときに家族で西粟倉へ来たんです。

 地元の大工さんには、改築するとすごくお金がかかるから新築で建てた方が安いよと言われたんですけど、大好きだったおばあちゃんやおじいちゃんが建てた家に住みたかったので、改築という形にして、「軒下図書館」も名前ごと残すことにしました。

語学スクールにB&Bにパン屋にヨガ教室。大変な家族を 西粟倉が支えてくれた

 裕美さんにとっては 20 年離れていた岡山、そしてオリビエさんにとっては初めての日本。裕美さんの職探しのアテが外れたり、為替の変動で貯金が目減りする一方で、想定外の出費がかさむなど、厳しい滑り出しとなった。

 オリビエが日本に慣れてから活動しようと思っていたのに、いろいろあってすぐ自分たちで何かしないといけないという状況になっちゃったんです。 そこで2010年の 5 月に語学スクールを始め、 8 月にB&B、その後納屋を改築して 11 月にパン屋を立ち上げました。これはオリビエが「日本のパンがおいしくないから、パン屋になる」と言いだしたからで、フランスで一ヶ月ほど修行してきたんです。さらに冬が寒くていられないと言い出して、今度は冬をしのぐためにインド に行っちゃって。でもせっかくだからとヨガの先生の資格を取って帰ってきたので、ヨガ教室も開きました。

 オリビエは逆境でも決断したらすぐ行動に移して、後で軌道修正をするタイプなんです。でも私はスイッチの切り替えも苦手で、それなりに大変でした。田舎だからお客さんが来 なくて、私は役場や西粟倉・森の学校さんに行ってパンの行商をしていたほど。

 それでも、ロンドンと比べると西粟倉は治安がいいし、子どもたちを自由に遊ばせておくこともできるし、騒音も気にしなくていい。託児も都会とは比べ物にならないくらい安いことにも助けられました。 3 年間で蒔いてきた種にようやく芽が出てきて、心にもゆとりが出てきました。改めて「西粟倉は良いところだな」と。

地元の子どもたちの 「軒下図書館」から 海外の人とも交流する場所へ

 おばあちゃんの「軒下図書館」から自分を活かせる場所を求めて、アメリカ・東京・イギリスと渡り歩いてきた 20 年。再び戻ってきた「軒下図書館」を舞台に、裕美さんは家族との時間と、新たな 出会いを大切にできている。

  語学スクール、B&B、パン屋、ヨガ教室 … といろいろやってきましたが、ガイドも始めたことでようやく生活が安定してきて、仕事と家族のバランスが取れてきている、とか、家族を含めた目の前の人たちとの時間を大切にできてきている、と感じています。

 これまでのいろいろな人とのご縁のおかげで、「軒下図書館」へ外国語を学びに来てくださるお客さんもいますし、海外からお客さんを迎えることもあります。ロンドンにいたら決して出会えなかったであろう人との出会いもここで経験することができました。ここへ来てくださるお客さんは、みなさん西粟倉の「何もなさ」の空気や、そこから生まれる「人との交流」をとても楽しんでくださっているよう に思います。ここで日本の職人さんと交流することで、工芸や伝統についての学びもあって。それを日本の良さとして海外に発信するお手伝いもできているんじゃないかな。

 

 おばあちゃんがやっていたころはすごくゆるく、好きな時に地元の子どもが図書館に来てたんですが、当時と形が違っても、お客様の憩いの場や教室として蘇らせることができてい るとしたら、嬉しいですね。いろんなことに興味を持って手を出しきた人生ですが、今、すごく「生かされている」という感じがしています。

写真:MOROCOSHI(https://morocoshi.com/) 

 

ローカルベンチャー

森と音がつながる …

mori no oto  石川照男さん

退職後、友だちの誘いに乗るうちに、音楽の楽しさを取り戻す。

石川さんは、家電メーカーでプロダクトデザインに 36 年関わってきた。アメリカ駐在中は、ブルースやカントリーの音楽を聴きにメンフィスに通い詰めた。そこには 〝 自分たちで作った楽器で音楽を楽しむ 〞 という文化があった。

大学でプロダクトデザインを学び、卒業後は家電メーカーに就職しました。海外向け製品のデザインが多く、4 年間ほどアメリカに家族で住み、音楽の坩堝のような都市、テネシー州メンフィスの日本人学校に通っていました。楽しかったアメリカ生活ですが、帰国後は人やコストを減らすだけの辛い仕事になってしまいました。それで58歳で退職。でも辞めたら辞めたで、何もしない日々もつらいんですよね(苦笑)。それで友人の誘いでバイオリン作りを習いに行ったんです。僕はそれまで、企業のプロダクトデザイナーで、プラスチックの型を使った仕事ばかりでしたから、自分の力で木材から楽器が作れる、音が出る!と驚きで、すっかりハマってしまいました。  

 しばらくして、中学の同級生の勧めでソーシャルビジネスを興すためのスクールにも通いました。サラリーマンしかしていなかった僕は、社会貢献といえばボランティア ? くらいの知識しかな かったんですが、社会の問題を解決しつつ、継続的にビジネスとして成立させられるということにカルチャーショック を受けまして。それでメンフィスの文化に触れて感じたことと、スクールで学んだことを活かして、自分たちで国産材を使って楽器を作り、地域を活性化するという、楽器制作教室の事業計画を立てて、大阪の枚方で実践し始めま した。

 しかし枚方では楽器制作教室には人が来てくれなかった。次のステップとしては自分から森に近づいて行かなきゃいけないのでは?と感じ始めて、ある時、面白いと聞きつけた西粟倉に仲間と見 学に来ました。そこで百年の森林構想に基づく活動に魅了されてしまい、地域おこし協力隊に応募しまして、じゅ 〜くさんの就労支援施設で指導員として働かせてもらいつつ、自分でモノづくりを始めました。

家電メーカーの社員時代には味わえなかった、直接使う人の楽しそうな姿を見た感動と喜び

 以前は顧客主義を唱えながら、実際はお客さんとの接点は少なかったという石川さん。今は、既製品を売って終わりではなく、お客さんが自分で作った楽器で一緒に演奏し、その笑顔を見ることができることに喜びを感じている。

 西粟倉に来てすぐ、「森のおもちゃフェスティバル」というイベントを、村と東京おもちゃ美術館で開催することになり、何か玩具を提案してみませんか、と打診がありました。

 せっかくなので、玩具を 1 個ポンと置くのではなくて、子どもたちが 遊ぶ場となるものを、と考えたんです。子どもが入れるくらいの大きな楽器「 mori no oto 」を中心に、子どもたちが集まってきて、傍に置かれた「 kan pon pon 」といった小さな楽器を使って、みんなで遊ぶ『体験』を提案したところ、OKが出て制作 しました。

 その後、広報活動や、オンラインショップを通し「 kan pon pon 」やその他の製品が売れ出しました。東京おもちゃ美術館のグッド ・ トイに選定されたこともあり、ミュージアムショップで取り扱ってもらえたり、ワークショップの依頼が舞い込んだり。

 ワークショップに参加できない人のために、楽器の販売もしてはいますが、一人で作って演奏するより、ワークショップで集まって、できた人が何人か集まって合奏するほうがずっと面白いと感じています。そしてたくさん参加者がいるときは、主催する側にも仲間が必要。それを仲間と一緒にやれている自分も楽しいし、きっと参加者のみんなも面白いだろうなと、だんだん自信がついてきています。

 

ワークショップを継続し、 木育や西粟倉の地域活性化につなげていきたい

人とのつながりのなかで知った、自分で楽器を作り、それをみんなで演奏することの楽しさ。それは人をつなぎ、意識を森につなげていくことができるという石川さん。そこにはかつてのような数値目標はないと笑う。

 あるワークショップでは障がいのあるお子さんとそのお父さんが参加されました。お子さんは小鳥が好きで、お父さんが頑張ってバー ドコールという鳥の鳴き声がする玩具を作って、音が出て、親子で笑顔で帰ってくれたのはとても印象に残っていますね。

  楽器は楽器屋さんで買うものであって、自分で作るものではない と思ってる人が大半です。でも楽器を作ってみんなと演奏する楽し さを僕が 1 人占めにするのはもったいない。簡単なものでいいから自分で作って演奏できるんだ、ということを知ってもらいたい。みんなが笑顔になれる時間を広めてい きたいです。

写真中央の「バードコール」。両手で左右を持ち、ねじるように回すと鳥のさえずりのような音がする。

今後もワークショップを継続的 に続けていくことで、子どもたちに 木の暖かさや香り、良い音色といっ た感動を与える木育につなげてい けたらいいなと。西粟倉の間伐材 を使って楽器作りをしていますが、 それは間伐材をどれだけ消費でき るかということではないんです。人 とのつながりや、自然や環境を良 くしていかなければいけないという 気持ちが自然に芽生えるきっかけ となってくれれば、それが社会貢 献につながるんじゃないかな、と 思っています。企業目標的なもの は何もないですけど、この活動や 思想を次の世代の誰かに受け継い でもらえたら、より嬉しいですね。

mori no oto HP:http://mori-no-oto.com/ 

写真:MOROCOSHI(https://morocoshi.com/) 

 

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