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「起業×人口140…

西粟倉での起業に関心のある方に是非一度参加いただきたいイベントがあります。
それが「起業×人口1400人の村を本気で考えるオンラインフィールドワーク」です。

西粟倉村というフィールド、村の人、資源、その他リソースを知っていただくために、オンラインフィールドワークを実施します。

本イベントは現在参加者の募集をしている「西粟倉ローカルベンチャースクール2021」にエントリーをする際は原則1回以上にご参加いただいてからのエントリーをお願いしているものです。

村での起業を実現させていくには、実際に事業を行うフィールドとしての村の可能性や、共に働き、暮らす仲間となる村役場や村民の方々の人柄や想いに触れていただくことが、大切です。

まだ起業や、西粟倉ローカルベンチャースクールにエントリーを決めていなくても是非、西粟倉や起業に関心のある方は気軽にご参加ください!

これまでは現地に来てもらって案内していた村内各所、人々の生の声、コロナ禍ということもあり移動しにくい今だからこそオンライン化しましたが、この機会にお家から村に繋がってください。

そして少しでもご自身の未来の姿に繋がってください。

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  • 日時・各回テーマ・ゲスト(予定)

Vol.1 9/13(日)13:30~17:00 95%が森林の村で、林業で起業する
 ゲスト:西粟倉村役場 地方創生推進室長 上山隆浩さん(紹介記事はこちら)、株式会社百森 代表取締役 共同代表 田畑直さん(紹介記事はこちら)【開催済み】

Vol.2 10/4(日)13:30~17:00 スキルを活かして、1400人の村で起業する①
 ゲスト:西粟倉村役場 産業観光課 藤川達也さん、渋谷カバン 渋谷肇さん(紹介記事はこちら)

vol.3 10/25(日)13:30~17:00 スキルを活かして、1400人の村で起業する②
 ゲスト:西粟倉村役場 産業観光課 藤川達也さん、JPチャンネル 松尾淳平さん(紹介記事はこちら)

  • 対象者

    LVSへの参加を検討している方
    地域(西粟倉)での起業に関心のある方

  • 参加費

    無料

  • 定員

    各回 15名程度

  • タイムライン(予定)

    13:20~13:30 ZOOMの使い方説明(任意参加)

    13:30~14:00 オープニング

    14:00~15:05 村内案内

    15:05~15:25 感想シェア

    15:25~16:30 ゲストトーク

    16:30~16:45 感想シェア

    16:45~17:00 クロージング

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イベント申し込みはコチラ

地域に眠る可能性。…

「百年の森林構想」で地域資源を活かした事業と雇用を期待され生まれた「森の学校」。創業時から会社を支える門倉さんに 、会社の生産管理について聞いた。

門倉 忍さん(最前列左から2人目)と社員の皆さん

[toc]

未経験者だけで始まった木材加工業

電子部品メーカーで働いていた門倉さんは、50歳過ぎで中国に赴任。そこでの仕事は大量消費・大量生産の世界で「利益のために、渇ききった雑巾を絞るような仕事」だと感じ、日本の田舎でできる仕事を探し始めた。

「家族のために」と慌ただしく働き時間が過ぎてゆき、子どもの成人をきっかけに人生や仕事を改めて考えてみたら、働けるのはあと10年くらいだと。これからの10年、このままでいいのか。自分がやりがいを持てること、もう少し社会にとってよいことをしたい、という思いがありました。それで日本の過疎地でできる仕事を探していたんです。そのなかで僕の経験が活かせそうな「生産管理」の募集をしていたのが西粟倉でした。

でもいざ工場に来てみたら、間伐材を使って割り箸をつくると言われていたのに、廃墟みたいなところで製造機械もなければ作り方も誰も知らない。それで日本中飛び回って、吉野の箸作りをしているところに何十回も通って、門外不出のつくり方を伝授してもらったり、製造機械を開発したりしてもがいていました。ところが準備が整ってきた頃に、採算が合わないってことがわかってきて、泣く泣く1年で事業縮小しました。

割り箸のラインを縮小して他の製品の木材加工に人を回すとなると、これが少し厄介。というのも、森の学校は木材の利用だけでなく、地域に雇用を生み出すことも期待されていたから、小さい子どものお母さんといった女性たちがパートで割り箸の検品をしていたんですね。他の製品ラインでも、均一の安定した品質を保ちつつ、パートタイムで働く女性も安心・安全に物を作れる設備を開発する必要が出てきたんです。そこで前の職場で培った生産管理の経験を生かして、女性が安全に関われる製造工程を少しずつ実現してきました。

女性に配慮した職場づくりが品質を高め、お客さんの満足につながる

通常、工場で働く人は一定の作業を同じ姿勢・動作で繰り返すため、日々の作業に少しでも無理があると、働く人の不満が少しずつ蓄積していく。それを経験上知り尽くしていた門倉さんは、作業環境に驚くほど注意を払っている。

女性に配慮した木材の生産管理とはどんなことかでいうと、例えばうちのある工程までは男性ばかりなんですが、ある工程からは女性になっています。製材したての木材は、重さの50%が水分だから、乾いてきて重さが概ね半分になる頃には女性でも運べるようになるんですね。

女性は言いたいことを溜めすぎて離職することが多いので、毎日繰り返す単純作業をどれだけ楽にできるか、常に気にしています。作業スペースの広さや高さ、モノの置き方、明るさ。あとは休憩室やトイレの清潔さや、気持ちの引き締まる制服。長く働いてもらうために良い環境を作ることは、間違いなくモチベーションが上がり、事故は減り、生産性は上がり、笑顔も増えてく。

そうやって女性が気持ちよく働けて、活躍もできる環境を整えられれば、パートタイムでもお互い無理なく働けるでしょ?そしたら、子どもが小さいときは遠くに働きに行かなくて済むし、他の地域から「小さい子どもがいるんですけどここなら働けそうです」と選んでもらえるようにもなる。

品質の管理、安全衛生上の管理を両輪に、常にお客さんの要望にオールマイティに丁寧に答え続けて、喜んでもらう。ここに来て8年ですが、素晴らしい仕事に関わってるな、ここに来て良かったんだなって思います。

働く人が安心できる環境づくりを西粟倉から全国へ広げたい

森の学校の工場は、20年近く廃墟状態だったアルバムメーカーの工場を借り受け、8年かけて門倉さんたちが整備してきた。残るは事務所の改築という状態になった今、賃借料10年分で購入させてほしいと交渉したという。

これまで賃貸で使っていた工場を去年、売ってもらいました。収益とか利益ばかりに注目するんじゃなくて、そこで働く人たちの生活を見守って、その地域の産業として継続できる状態にしたいから。
働く人にお給料やポーナスを払って、社会保険も整備して、安心して暮らせるっていう環境をこの西粟倉で作る。そういう環境をつくるのが企業の使命だと思うし、そこに関われていることが誇らしいと思ってます。業界としては厳しいんで、めちゃくちゃ儲かる仕事ではないけど、どうせだったら笑顔でやり続けられて、喜んでもらえることをめざしていけるといいね、って話しています。

そして、国産材のうねりを起こすには西粟倉だけ良くてもダメで、全国で取り組まないといけないとも思っています。それは西粟倉と同じやり方じゃなくていい。地域ごとの特色とか、考え方、作るものに合わせてアレンジし、買ってもらえる商品、買ってくれた人が喜んでもらえるような商品にすれば、事業は継続できるし、地方でも人が増えると思います。
うちの代表の牧が全国にコンサルに行っているのはそのためです。盛り上がる地域を増やして、他の地域とも同じような考え方で仕事ができるようになればと、そう願っています。もちろん簡単なことではないけど、絶対うまくいくと思うんだよね。根拠はないけど(笑)。

森の学校の工房。製材から加工までを一貫して行う。
工場内の環境や作業工程は、いかに女性にとって快適か、働きやすいか、を考えて整えられている。
工場で働く女性は全体の約6割。初期から長年働いている女性スタッフも多く、ライフステ ー ジの変化に応じて、バー トや正社員など、雇用形態や条件も柔軟に対応している。
森の学校の主力商品である 『ユカハリタイル』の仕上げの工程。商品の隅々まで、傷や不具合がないかをチェックするような、繊細さが求められる仕事は女性に任されている。
綺麗に製材された木材を一箇所に集める。乾燥して軽くなったものであれば、十分に女性でも運ぺる。

※この記事の内容は2018年時点のものです。

株式会社西粟倉・森の学校(カブシキガイシャニシアワクラモリノガッコウ)

ADRESS:〒707-0504 岡山県英田郡西粟倉村長尾 461-1
TEL:0868-73-0338
WEB:http://morinogakko.jp

森林と人が繋がって…

多くの山主がプライドと情熱をもって守り、継いできた西粟倉の林業。 木材の価値が下げ止まらない今、先代の意思を次世代に引き継ぐための國里さんの構想とは。

株式会社木の里工房木薫 國里哲也さん

[toc]

僕の一言に山主さんがガクッと肩を落とした。その時やっと目が覚めた。

國里哲也さんは西粟倉の出身。おじいさんは林業に従事していて、小さい頃から森や林業の仕事の大変さをたくさん聞かされていた。でも、國里さん自身は林業には全く興味はなかったという。

私が森林組合に就職したのは、平成7年のことです。その時は林業には全く興味はなく大阪から地元に帰ってきて、ただそこが募集していたから就職したという感じでした。
昔は山の木を切って、それを売ることで生活のお金を稼ぐことができたのですが、私が就職した頃はすでに木の価格は下がり、産業としては下降している途中だったので、仕事で関わる山主さんは、みんなその状況を嘆いていました。
小さい頃からおじいさんに、山の仕事の大変さや木や森の大切さを聞かされていましたが、私自身はたいして問題意識もないまま仕事をしていたんです。
そんな中、組合に入つて3年ぐらい経ったある時でした。ある山主さんからこう聞かれたんです。
『國里くん、どうやったら木の価格は上がるんだろう?』
それに対して僕は本当に何気なく、『無理なんじゃないですかね一』と答えてしまったんです。その時その山主さんはガクッと肩を落として、『そうか無理か…』と寂しそうに答えました。
その時にハッとさせられたと言うか、今までの自分の組合での働き方も振り返って、この人たちはこの山に夢やプライドを持って関わってきたのに、そんな方々に対して自分は何をやつているんだろうと、思ったんです。
その時から疲弊していくこの西粟倉の林業を何とかしたい、そう考えるようになりました。

西粟倉の林業を本格的に立て直そう、と決意した國里さん。とても息の長い林業の再生を考えた時に、誰に何を届けるべきなのか?答えは自ずと出たという。

疲弊していく林業をなんとかするためには、木や森の現状に関心を持つ人を増やさないといけません。『一人でも多くの人に今の林業の問題を知ってもらう』、ということを最終目標とした場合、はじめの一歩って何になるかな?と考えたんです。
それはまず、西粟倉の木を使い、尚かつしっかリデザインされた木の製品(椅子やテープルなど)を都会のユーザーに購入してもらうこと。そしてその価値を認めてもらうことです。そうすれば、少しづつでも都会の意識は森に向いていくと思います。ただ、B to Cで商売を考えた時に、木薫の事業規摸では難しい。
なので、11年勤めた森林組合を退職して独立する時には、子どもに向けてB to B事業をすると決めていました。保育園家具や遊具の制作と販売です。
なぜ子ども向けなのかというと、僕が子どもの頃は物心ついたら身の回リに自然があったけれど、今の子どもたちは土や木など、本物に触れる機会があまりにも少ない。林業はとても息の長い事業なので、僕らの下の世代にちゃんと事業をパスしていかないといけません。僕らが出したパスをしっかリ受け止めてもらえるためにも、子どもたちが小さい頃から本物に触れておくことは、とても重要だと思ったんです。
『三つ子の魂、百まで』つて言うでしよ?僕らが子ども向けにやるのはそういう発想です。

三つ子の魂、百まで林業の未来を引き継ぐのは子ビもたち
山主さんから子ビも達へ想いをつむぐ、國里さんの林業全体の未来

独立してからずっと保育園家具・遊具で勝負してきた國里さん。それに触れた子ども達が、その本物の香りや手触り、温もりを感じること。そのことを通じて、國里さんが成し遂げたい林業の未来像を聞いた。

僕らは山に入って木を切るところから、その木を子ども向けの家具や遊具に加工し、保育園に納品するところまでをやっています。山主さんが大切に育ててきた木を切らしてもらい、間伐をしながら森を育てる。その切った木を使って、デザインにこだわった椅子や机を作り、都会の子どもたちに届ける。売値は自分たちで決めて、そのお金はちゃんと山主さんに還元する。つまり誰も損はしないので、しっかり広がるし続いていくんです。こうやって、林業を起点にして、関わる全ての人が等しく満足するのが理想です。
でも、もっと広い意味で都会と山をつなげることを考えた時に、木薫の商品だけでなく、僕の話やここでの体験を通じて、もっと山や山主さんに興味を持ってもらいたい。
中学生の時にここを見学に訪れてくれた若者が今高校3年生になって林学を学ぼうと頑張っているみたいで。その子は、『今まで林業なんて全く興味がなかったけど、西粟倉に来て自分はこの仕事がしたいと思った』と言ってくれたんです。
こんなふうに次世代と林業の繋がりを生み出していくことで、代は変わっても想いは引き継がれていくんじゃないかと思うんです。それ自体はとても果てしなく大変なことだけど、この村の林業をずっと継続させていくために、未来永劫、続けていかないといけないことだなあ、と思うんですよね。

(1)森林組合時代の隔里さん。入った当初は林業には全く興味がなかったという。
(2)現在の木薫の森林整備のメンバー。木薫には他に、保育園に営業にいく部署と保育園家具をつくる部署がある。
(3)保育園に納品する椅子。1オ用、3オ用、5オ用と年齢に分けて細かくサイズ調整されている。
(4)家具の制作風景。ここで約10人のスタッフが作業している。
(5)家具や遊具を制作する二房。ここで作られたものは、岡止県近隣に限らず、全国の保育園に還ばれていく。

※この記事の内容は2018年時点のものです。

株式会社木の里工房木薫(カブシキガイシャ キノサトコウボウ モックン)

ADRESS:〒707-0504 岡山県英田郡西粟倉村長尾739-5
TEL:0868-79-7330
MAIL:info@mokkun.co.jp
WEB:http://www.mokkun.co.jp

祖母の生きた家で、…

【軒下図書館 ノキシタトショカン】 チャールズ・裕美さん

学生時代に過ごしたおばあちゃんの家が帰る場所となった。

 小学校の教員だった祖母の西粟倉の家の2階には、近所の子どもに開放された「軒下図書館」があった。裕美さんは祖母の家に行くたびに、その部屋に泊まり、豆電球をつけて夜中までこっそり本を読むほど、そこが大好きだった。

 私のおばあちゃんは 、「ピアノを弾いていて、紺色のドレスを着ていて。すごく素敵な人だった」と、近所の祖母の生徒さんや知り合いのお嫁さんから聞いていました。

 私といえば、学校でたまたま奨学金を頂けたこともあって、17 歳の時から 2 年間アメリカに留学しました。そのままアメリカで 4 年制大学を修了、就労ビザで働いて結局計 7 年間を過ごしました。滞在中の教育費は、教育熱心だったおばあちゃんが支援してくれていたようで、経済的にも精神的にも私の基盤作りをおばあちゃんに助けてもらいました。

 その後、英語の仕事を探して妹のいる東京で 2 年ほど働いたこともありますが、しっくりこず、友人を訪ねてロンドンへ。そして夫のオリビエと出会い、子どもが生まれました。

 ロンドンも当初 1 年滞在の予定が、11 年いたことになります(笑)。ただ子育てに私がけっこう苦労しているなか、オリビエの仕事が忙しくて子どもと触れ合う時間がなかったので、日本で実家の母に手伝ってもらい、夫婦で子どもと向き合う時間を増やせないかと考え始めました。父が「おばあちゃんが亡くなって、空き家になってるからここに住んでもいいよ」と言ってくれたこともあり、 2 人目の子どもができたときに家族で西粟倉へ来たんです。

 地元の大工さんには、改築するとすごくお金がかかるから新築で建てた方が安いよと言われたんですけど、大好きだったおばあちゃんやおじいちゃんが建てた家に住みたかったので、改築という形にして、「軒下図書館」も名前ごと残すことにしました。

語学スクールにB&Bにパン屋にヨガ教室。大変な家族を 西粟倉が支えてくれた

 裕美さんにとっては 20 年離れていた岡山、そしてオリビエさんにとっては初めての日本。裕美さんの職探しのアテが外れたり、為替の変動で貯金が目減りする一方で、想定外の出費がかさむなど、厳しい滑り出しとなった。

 オリビエが日本に慣れてから活動しようと思っていたのに、いろいろあってすぐ自分たちで何かしないといけないという状況になっちゃったんです。 そこで2010年の 5 月に語学スクールを始め、 8 月にB&B、その後納屋を改築して 11 月にパン屋を立ち上げました。これはオリビエが「日本のパンがおいしくないから、パン屋になる」と言いだしたからで、フランスで一ヶ月ほど修行してきたんです。さらに冬が寒くていられないと言い出して、今度は冬をしのぐためにインド に行っちゃって。でもせっかくだからとヨガの先生の資格を取って帰ってきたので、ヨガ教室も開きました。

 オリビエは逆境でも決断したらすぐ行動に移して、後で軌道修正をするタイプなんです。でも私はスイッチの切り替えも苦手で、それなりに大変でした。田舎だからお客さんが来 なくて、私は役場や西粟倉・森の学校さんに行ってパンの行商をしていたほど。

 それでも、ロンドンと比べると西粟倉は治安がいいし、子どもたちを自由に遊ばせておくこともできるし、騒音も気にしなくていい。託児も都会とは比べ物にならないくらい安いことにも助けられました。 3 年間で蒔いてきた種にようやく芽が出てきて、心にもゆとりが出てきました。改めて「西粟倉は良いところだな」と。

地元の子どもたちの 「軒下図書館」から 海外の人とも交流する場所へ

 おばあちゃんの「軒下図書館」から自分を活かせる場所を求めて、アメリカ・東京・イギリスと渡り歩いてきた 20 年。再び戻ってきた「軒下図書館」を舞台に、裕美さんは家族との時間と、新たな 出会いを大切にできている。

  語学スクール、B&B、パン屋、ヨガ教室 … といろいろやってきましたが、ガイドも始めたことでようやく生活が安定してきて、仕事と家族のバランスが取れてきている、とか、家族を含めた目の前の人たちとの時間を大切にできてきている、と感じています。

 これまでのいろいろな人とのご縁のおかげで、「軒下図書館」へ外国語を学びに来てくださるお客さんもいますし、海外からお客さんを迎えることもあります。ロンドンにいたら決して出会えなかったであろう人との出会いもここで経験することができました。ここへ来てくださるお客さんは、みなさん西粟倉の「何もなさ」の空気や、そこから生まれる「人との交流」をとても楽しんでくださっているよう に思います。ここで日本の職人さんと交流することで、工芸や伝統についての学びもあって。それを日本の良さとして海外に発信するお手伝いもできているんじゃないかな。

 

 おばあちゃんがやっていたころはすごくゆるく、好きな時に地元の子どもが図書館に来てたんですが、当時と形が違っても、お客様の憩いの場や教室として蘇らせることができてい るとしたら、嬉しいですね。いろんなことに興味を持って手を出しきた人生ですが、今、すごく「生かされている」という感じがしています。

写真:MOROCOSHI(https://morocoshi.com/) 

 

森と音がつながる …

mori no oto  石川照男さん

退職後、友だちの誘いに乗るうちに、音楽の楽しさを取り戻す。

石川さんは、家電メーカーでプロダクトデザインに 36 年関わってきた。アメリカ駐在中は、ブルースやカントリーの音楽を聴きにメンフィスに通い詰めた。そこには 〝 自分たちで作った楽器で音楽を楽しむ 〞 という文化があった。

大学でプロダクトデザインを学び、卒業後は家電メーカーに就職しました。海外向け製品のデザインが多く、4 年間ほどアメリカに家族で住み、音楽の坩堝のような都市、テネシー州メンフィスの日本人学校に通っていました。楽しかったアメリカ生活ですが、帰国後は人やコストを減らすだけの辛い仕事になってしまいました。それで58歳で退職。でも辞めたら辞めたで、何もしない日々もつらいんですよね(苦笑)。それで友人の誘いでバイオリン作りを習いに行ったんです。僕はそれまで、企業のプロダクトデザイナーで、プラスチックの型を使った仕事ばかりでしたから、自分の力で木材から楽器が作れる、音が出る!と驚きで、すっかりハマってしまいました。  

 しばらくして、中学の同級生の勧めでソーシャルビジネスを興すためのスクールにも通いました。サラリーマンしかしていなかった僕は、社会貢献といえばボランティア ? くらいの知識しかな かったんですが、社会の問題を解決しつつ、継続的にビジネスとして成立させられるということにカルチャーショック を受けまして。それでメンフィスの文化に触れて感じたことと、スクールで学んだことを活かして、自分たちで国産材を使って楽器を作り、地域を活性化するという、楽器制作教室の事業計画を立てて、大阪の枚方で実践し始めま した。

 しかし枚方では楽器制作教室には人が来てくれなかった。次のステップとしては自分から森に近づいて行かなきゃいけないのでは?と感じ始めて、ある時、面白いと聞きつけた西粟倉に仲間と見 学に来ました。そこで百年の森林構想に基づく活動に魅了されてしまい、地域おこし協力隊に応募しまして、じゅ 〜くさんの就労支援施設で指導員として働かせてもらいつつ、自分でモノづくりを始めました。

家電メーカーの社員時代には味わえなかった、直接使う人の楽しそうな姿を見た感動と喜び

 以前は顧客主義を唱えながら、実際はお客さんとの接点は少なかったという石川さん。今は、既製品を売って終わりではなく、お客さんが自分で作った楽器で一緒に演奏し、その笑顔を見ることができることに喜びを感じている。

 西粟倉に来てすぐ、「森のおもちゃフェスティバル」というイベントを、村と東京おもちゃ美術館で開催することになり、何か玩具を提案してみませんか、と打診がありました。

 せっかくなので、玩具を 1 個ポンと置くのではなくて、子どもたちが 遊ぶ場となるものを、と考えたんです。子どもが入れるくらいの大きな楽器「 mori no oto 」を中心に、子どもたちが集まってきて、傍に置かれた「 kan pon pon 」といった小さな楽器を使って、みんなで遊ぶ『体験』を提案したところ、OKが出て制作 しました。

 その後、広報活動や、オンラインショップを通し「 kan pon pon 」やその他の製品が売れ出しました。東京おもちゃ美術館のグッド ・ トイに選定されたこともあり、ミュージアムショップで取り扱ってもらえたり、ワークショップの依頼が舞い込んだり。

 ワークショップに参加できない人のために、楽器の販売もしてはいますが、一人で作って演奏するより、ワークショップで集まって、できた人が何人か集まって合奏するほうがずっと面白いと感じています。そしてたくさん参加者がいるときは、主催する側にも仲間が必要。それを仲間と一緒にやれている自分も楽しいし、きっと参加者のみんなも面白いだろうなと、だんだん自信がついてきています。

 

ワークショップを継続し、 木育や西粟倉の地域活性化につなげていきたい

人とのつながりのなかで知った、自分で楽器を作り、それをみんなで演奏することの楽しさ。それは人をつなぎ、意識を森につなげていくことができるという石川さん。そこにはかつてのような数値目標はないと笑う。

 あるワークショップでは障がいのあるお子さんとそのお父さんが参加されました。お子さんは小鳥が好きで、お父さんが頑張ってバー ドコールという鳥の鳴き声がする玩具を作って、音が出て、親子で笑顔で帰ってくれたのはとても印象に残っていますね。

  楽器は楽器屋さんで買うものであって、自分で作るものではない と思ってる人が大半です。でも楽器を作ってみんなと演奏する楽し さを僕が 1 人占めにするのはもったいない。簡単なものでいいから自分で作って演奏できるんだ、ということを知ってもらいたい。みんなが笑顔になれる時間を広めてい きたいです。

写真中央の「バードコール」。両手で左右を持ち、ねじるように回すと鳥のさえずりのような音がする。

今後もワークショップを継続的 に続けていくことで、子どもたちに 木の暖かさや香り、良い音色といっ た感動を与える木育につなげてい けたらいいなと。西粟倉の間伐材 を使って楽器作りをしていますが、 それは間伐材をどれだけ消費でき るかということではないんです。人 とのつながりや、自然や環境を良 くしていかなければいけないという 気持ちが自然に芽生えるきっかけ となってくれれば、それが社会貢 献につながるんじゃないかな、と 思っています。企業目標的なもの は何もないですけど、この活動や 思想を次の世代の誰かに受け継い でもらえたら、より嬉しいですね。

mori no oto HP:http://mori-no-oto.com/ 

写真:MOROCOSHI(https://morocoshi.com/) 

 

道前さんが語る、あ…

日本酒酒屋 【酒うらら】道前理緒さん

大学時代に通っていたセミナーの懇親会で、「キミ毎回来てるし、お酒も好きそうだし、やってみる?」とインターンに誘われまして。「蔵の取材に行って」と言われ、京都の酒蔵に1週間泊まり込みで取材に行きました。

元々日本酒好きだったのですが、取材の準備を通して微生物や歴史といった知識を得て、ぐっと引き込まれました。取材では農家の人が「いつかは自分の育てた米でお酒を造りたい」と話すのを聞いたり、蔵でお酒を作る人と寝食を共にしたり、毎晩飲んで語らったりして造り手の心意気に触れることができ、お酒造りってすごく面白いと感じたんです。

就職してからもお酒好きは変わらず、休日には蔵に行ったり、お酒のイベントに参加したり手伝ったりしていました。出張ついでに各地で日本酒を飲めるお店に行って、お店の人に教えてもらったり。蔵の人とも仲良くなり、いずれ日本酒の仕事をしたい、それなら日本酒バーをしようかな、と考え始めていました。

ちょうどその頃、西粟倉にいた牧大介さんから久々にメールが来て、「村に酒屋があったら楽しいなと思うんだけど、どう?」と。タイミング良すぎ(笑)。ただ酒屋は日本酒バーと比べると利益率がすごく低い。「いけるか分からないな」と感じたけれど、いけると感じることをやっても面白くない。

未知の場所へ行って自力で立ち上げてみたかったし、都会でやるより田舎で成功させたときのほうがインパクトあるなと。それで会社を辞めて西粟倉へ移住し、2014年の4月に『酒うらら』を開業しました。

日本酒業界の体質は古く、今も日本酒を置けば売れていた頃の残り香で生きている現状がある。ワインや他のお酒が登場して、競争が激しくなっているにも関わらず、商品管理なども効率的でないのだという。 ほとんどの蔵と酒屋が、自分の力で商品をPRするということができてないんです。ならば酒屋の立場から自分がやろうと思い立ったんです。

だって、「安いお酒」じゃなくて、もっと「いいお酒」を飲みたいじゃないですか。  移住してすぐは、店の隣で固定のバーをやろうかなと思っていたんです。でも色々計算していたら毎日20人くらいお客さんが来ないと売上が立たない。それなら、と思い立って、出張バーを始めました。あれは天才的なひらめきでした(笑)。

元々日本酒があるところではなくて、ゲストハウスやカフェ、日本酒をあまり知らないようなところに、店からセレクトした日本酒を持って行ったんです。仕入れたお酒を店舗に来た人に売る以外に、イベントに出店したり、出張バーをやったりということを3年間続けてきたら、そんなことやっている人が他にいないから話題になって。結果、お客さんが割とついてくれて、酒屋のほうもそこそこお酒が売れたんです。

 

そして、いまは私が勧めるお酒が岡山市内でどんどん広まってきて、岡山のお酒が全国的にも結構注目されてきているように感じます。酒屋の力で、変えられることはある。酒屋って、本来は蔵と消費者、飲食店の間をつなぐことのできる業界の「核」なんだと確信してます。

道前セレクトを各地に届ける出張日本酒バー酒屋は、人をつなぐ業界の「核」

いいお酒が飲める地域を増やすために、酒屋ができることはもっとある。最初は自分が酒屋としてやっていけたらいい、と考えていたのですが、今は日本酒業界を立て直さないと業界ごとなくなってしまうのではと危惧しています。 蔵はちゃんといいお酒を作ろうとしていて、飲食店はそれを求め、お客さんに勧めようとしている。お酒を勉強したいお客さんもいる。その間にいる酒屋ができることは、もっとあるはずなんです。だから色々な地域で酒屋向け・蔵向け・飲食店向け、そしてお客さん向けにも講座をしています。 蔵に対しては、酒屋は商品のチェック機能としての役割を果たし、フィードバックすることで、蔵を育てないといけない。 飲食店に対しては、一番お客さんの近くにいるんだから、知識を持って、愛情を持って勧めれば絶対にもっとお酒は売れるってことを伝えたい。 お客さんも勉強したいと思っている人がいるので、正しい飲み方についてのお客さん向けの講座もやってます。

実際に酒屋も工夫すればちゃんと売れるということは私が証明したつもりなので、日本全国にこういう酒屋を増やしたいし、育てたい。いいお酒が飲める地域を増やしたいんです。 ただ、自分だけ売れて儲かればいいや、という考えではなくて。日本酒業界全体の底上げになるようなことを考えて、これからもやっていきたいと思っています。 

酒うららHP:https://sakeurara.com 写真: MOROCOSHI(https://morocoshi.com/) 

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