【協力隊研修・特別講演】第1回:西粟倉村の文脈について知る ~百年の森林構想~

「地域おこし協力隊制度」とは、 最大3年間、 協力隊員となった移住者が地域で活動できるよう国が支援を行う制度です。 村は平成21年から本制度の活用を始め、 これまでに93名の協力隊員を受け入れてきました。 半数の協力隊員が任期終了後も村に残って活躍しており、村内事業者の事業拡大や新事業創出につながっています。 一方で、「どのような人がいて、 何をしているのか分からない」というお声もいただいています。
そこで、 今年度は協力隊の活動を定期的に情報発信していきます。皆様が協力隊員の活動を知り、 応援や関わりにつながるきっかけになることを願っています。

※本記事は、協力隊員紹介冊子「にしあわくら協力隊図鑑」より一部を抜粋した内容となります。

2021年8月25日、村の地域おこし協力隊を前に道上(みちうえ)正寿前村長がお話をしました。対話役は『エーゼロ』「西粟倉・森の学校」の代表取締役の牧大介さんです。

今「合併しなくてよかった」と思う。

牧大介(以下、牧):今日は道上前村長にお越しいただきました。ありがとうございます。前村長、はじめに、悩みながらも(平成の大合併で)村は合併しないという決断をされたときの思いから教えていただけますか。

道上正寿前村長(以下、道上):こんにちは。少し自己紹介をしますと、今71歳です。職歴は酪農が25年、行政職が20年少々。どちらも一生懸命してきました。村長は12年務めました。
70歳になってパーキンソン病になったことが悔しくてしょうがない時期もありましたが、今はあきたこまちの稲作を少々と、週一のゴルフと川釣りをして日々を楽しんでいます。

さて、合併の話ですが、私の二期目に出た話でした。当時の岡山県には78市町村ありましたが、西粟倉村は小さな村ですから、それまで合併の話はほとんど出なかったんです。実際には、合併反対派が55%、賛成派が45%くらいでした。小さな村ですから、最終的には村長の判断になります。合併せずに耐えられるのか、苦しみました。当時は財政も苦しくて、約50億円の負債がありました。

牧:小泉内閣のときに地方のお金が締め付けられましたよね。

道上:地方にとって唯一の懐である地方交付税はそれまで12億円くらいもらっていたのに、小泉内閣になってから約8億円になりました。職員の給料がまるまる落とされて、ゆとりがゼロになったので非常に苦しかったです。自立できる道があるのか、模索できない状況でした。

牧:人口が減ると地方交付税が減らされるので、過疎化がすすむと財政が厳しいという予測があったわけですね。

道上:いろんな施設も古くなるし、村民も誇りをもてなくなったんでしょう。村の中学校を卒業すると都会に出てしまい、見向きもされなくなることが増え、「何かこっちを向いてもらえないか」と策を考えました。西粟倉村をどうするか、それが私の三期目の仕事でした。東京に出向いて西粟倉村の説明会をしたりしていたら、田舎に興味をもつ若者がいくらかいると分かってきたんです。
そこで本格的に情報発信をしていこう、となりました。

牧:合併しない決断をしてよかったですか?

道上:合併しなくてよかったです。(会場の)みなさんに会えるのもそのおかげですから。今、大きなものをもらっていますね。非常に良好ですよ。小さい村ほどもがいて努力しています。それなりに努力はしてきていますから、自信はあるんですよ。

牧:合併しないかもしれないというとき、地元の新聞が叩いてきたそうですね。それくらい、合併が正義という時代だった。

道上:ものすごく叩かれましたね。あとで「(記者の)顔が見たい」と思いましたよ(笑)。みなさんも一生懸命やればそういう目に遭うこともあるでしょうけど、結果オーライですよ。

上質なものを求めて、しっかり考える

牧:2004年に合併しないことが決まって、2008年に村の森づくりのビジョン「百年の森林(もり)構想」が出されました。

道上:大茅スキー場の奥にある難波さん所有の山に非常にいい大木があります。見たことがある人いますか?

牧:樹齢100年以上、大きいと200年以上の木があって、「百年の森林構想」のモデルになった場所ですね。

道上:はい。木を見上げた職人の鉢巻が落ちると言われるくらい大きい。約30メートルの杉ですね。これを村のシンボルとして大事にしていくことが村民共通の理念でした。

牧:山から雇用を生むこと以上に、美しい風景をつくりたいと。木を切ることよりも立派な木が生えていることのほうが大事だったんでしょうか。

道上:木をただ大きくすることが正しいことではないんですよ。上質なものを求めて、しっかり考えていくということです。質が悪かったらだめですね。

牧:村長時代に生まれた地域づくりの言葉の一つに、「上質な田舎」がありますね。当時「美しい百年の森林に囲まれた上質な田舎を実現していこう」と呼びかけられました。前村長の考える「上質な田舎」とはどういうものですか。

道上:手一杯にものがあるより、使えるぐらいでないと、大事に使うものの価値観が共有できないんです。一歩上質なものを求めないと人間の生活は成り立たない。
「百年の森林構想」に話を戻すと、戦後、村民が一度は「孫が大学に入る頃にはいい木に育っているだろう」という思いで植林をしたわけです。その結果、緑豊かにはなったけれど、緑だけが豊かになったのが植林事業の失敗でした。
そこで、長期に継続できるよう「面積を広げて作業道を入れて大きくして整備していこう、助成をつけてやろう」となりました。100年くらいそういう(植林の頃の)思いを持とう、共通の思いでもう一回みんなで自然体をつくろうよと。

牧:単に100年生の森林をつくるのではなく、50年前の人の思いを100年続けていこうという構想ですね。

道上:はい、100年生の木は夢じゃない。

牧:また、心と心をつなぎ価値を生み出すという産業のコンセプト「心(しん)産業」も打ち出しました。

道上:「新産業」じゃなくて、「心の産業」ですね。「この商品あったかいな、優しいな」と感じてもらえるよう、思いをこめるというものです。

牧:その後『木薫』や『森の学校』ができて村に人が入り、村は地域おこし協力隊やふるさと雇用などで移住してくれる人に直接投資をしていきました。

道上:うちの村に移住していただけるのはありがたいです。どういう形であれ、何年か住んでいただいて、最後までいてくれたらうれしいですし。

牧:以前、「この村のことを大事に思ってくれる人が来てくれることが村にとって大事だ」と、おっしゃっていましたよね。

道上:ええ。

牧:今後の森づくりについて、どんな思いをお持ちですか。

道上:杉の大径木(たいけいぼく。直径が大きい材木のこと)を育てて、原生林とセットにして豊かさを味わえるようなものがお金になればいいなと思っています。そういう案内人が生まれればいいですね。