ゴリラ研究の第一人者として知られ、京都大学前総長であり、現在は総合地球環境学研究所所長を務める山極寿一(やまぎわ・じゅいち)さん。
山極さんがゴリラを研究した理由は、「人間から一歩離れて人間を見つめてみたかったから」だそう。サル学を志し、後にゴリラ研究を専門にしました。
そんな山極さんが、エーゼログループ株式会社の「未来の里山研究会」の講師として西粟倉村を訪れ、講演をおこないました。
新シリーズ初回は、その山極さんの講演内容をもとに、一部の図表を補いながら要約版としてお送りします。
文明の現状と人類の進化
今、我々の文明は行き詰まりに差しかかっていると思います。もうどうしようもなくなっているんじゃないかと思いますよね。
だから私が最近の課題としているのは、人類の進化と文明史を振り返って、人間がどこで間違えたのかということを考えなくてはいけないんじゃないか。それを参考にして今の文明を作り替えなくてはいけないんじゃないかと思うんですよ。
アントロポセンと人類の発展
今、人新世(アントロポセン)という時代区分が提唱されていますよね。1950年代以降、そう呼ぼうと言っているわけです。
ここに至った理由は何かと言うと、人類は進化の勝者であると思ってきた。それは違うんじゃないか。
言語の獲得によって知性が向上したと思ってきた。でも何か大事なことを置き忘れてないか。
人類の課題
食料生産によって人口を拡大した。これはいいことだと思っているかもしれないけど、本当にそうだろうか。産業革命によって新たなエネルギーを獲得した。これは発展の礎になったと思っているけど本当か。無限の成長を続ける経済システムに、このまま我々は頼っていいのか。そして今我々が直面している情報革命によるグローバル化というのは、人間にとって正しい文明のあり方なのか。
科学技術の限界
よく考えてみると、これまでの科学技術というのは、いろんな人間間に起こるコンフリクトを、パイを増やして、それを再分配することによって、薄めてきた。
でもね、地球というパイがもう限られてしまっているんだから、これ以上分配できませんよね。だったらこれまでとは違う方法でそれを解決しなくてはいけないんじゃないかということなんです。
人類の進化の歴史
簡単に人類の進化の歴史を振り返ってみると、チンパンジーとの共通祖先から人間が分かれたのは、700万年前です。その時、最初に手に入れた人間らしい特徴というのは、立って二足で歩くという歩行様式でした。こんな変な歩行様式をするのは、人間以外にいません。猿や類人猿の仲間では。
それを使って何をしたかというと、今人間に近い類人猿が暮らしている熱帯雨林から外に出たんです。これが二足歩行の効用です。
そして200万年前にやっと脳が大きくなり始めて、人類は誕生の地、アフリカ大陸を出てユーラシアへと進出を初めて始めた。そして7万年から10万年ぐらい前に言葉を話すようになって、今度はユーラシアだけじゃなくて新大陸、オーストラリア大陸へと進出を始めた。この3つのエポックが人類にとって重要だと思うんですよね。
食と社会性
我々にとって今でも大事なのは食べることです。いつ、どこで、何を、どうやって食べるのか、誰とかというのが、人類にとっても、他の猿や類人猿にとっても重要です。これは変わっていない。そして我々の胃腸というのは猿や類人猿とあまり変わらない胃腸をしている。
だけど大きな違いがあります。それはね、人類や類人猿は猿に比べて胃腸がすごく弱いんです。だから硬い葉っぱや毒性のある果実を食べられない。でも猿は食べられますから、猿の間の社会のルールというのは、食べる時は分散しましょうね、分散するのは弱い方ですよ、強い方が食物を独占しますよって、決められている。
だから、猿は強い/弱いということを基準に、行動を分けています。これが猿世界のルール。でも類人猿はね、食物を分配するんですよ。なぜかというと、胃腸が弱いから。人類もこの仲間だったわけです。
脳の進化について
さて、皆さんに質問しようと思います。人間の脳はゴリラの3倍大きいんです。人間の脳はなぜ大きくなったと思いますか?
これ、大抵の人はね、言葉を喋り始めたことだと思っているんですよ。言葉によって世界に名前をつけて、それを物語にして仲間と共有する。その記憶力が増大したために、それを収納する脳を大きくする必要があったのだろうと。
間違いじゃないんです。だけど、どうもそうじゃないらしい。さっき言ったように、言葉というのは、7万年から10万年前に現れました。でも、脳が大きくなり始めたのは、200万年前なんですよね。その時、人類は言葉を喋っていなかった。
じゃあ、今の現代人と同じような脳の大きさに達するのはいつかというと、現代人より前のホモ・ハイデルベルゲンシスという40万年前に現れた人類です。これが現代人の1400ccの脳をもう持っていた。現代人は20万年ぐらい前に現れますからね。だから言葉が脳を大きくしたんじゃなくて、脳を大きくした結果、言葉が現れたということが正しいんですね。
ダンバーの社会脳仮説
じゃあ、どういう理由で脳が大きくなったのか。これを、言葉を喋らない猿や類人猿を研究している僕らのような研究者が、一斉に調べ上げました。その中で面白い仮説を提唱した人がいる。イギリス人のロビン・ダンバーという人が、「社会脳として脳は大きくなったんだ」という仮説を立てました。
出典:https://www.youtube.com/watch?v=mR4gBWfy-IU&t=2590s
横軸に脳の新皮質と旧皮質の割合が取ってあり、新皮質の割合が高いほど、脳が大きいんです。縦軸にいろんなパラメーターを取ったんだけど、ここでは、それぞれの種が暮らす平均的な集団の規模、集団のサイズを取ってみた。1つ1つのドットは猿や類人猿の種類の平均値を表しています。
集団規模と脳の関係
そうすると、綺麗な右肩上がりになりましたね。ということは、大きな集団で暮らす種ほど脳が大きい。大きな集団で暮らすということは仲間の数が増えるということだから、仲間と自分の関係は、仲間同士の関係をよく頭に記憶しておく方が、うまく生きられるということでしょう。だから社会脳なんです。
でも、彼らは言葉を持っていませんから、言葉をなくたって社会脳は大きくなるってことでしょう。では、言葉を喋らない時の人類も同じような理由だったに違いないと考えて、この相関係数を使って化石から脳の大きさが推定できるものを使って、その当時の集団の規模を出してみた。
ダンバー数の発見
200万年前に脳が大きくなり始めた頃は、その前はゴリラと同じ脳の大きさだったんだから、現代のゴリラと同じような集団サイズ10人〜20人。脳が大きくなると30人〜50人になって、そして現代人の脳1400〜1600ccに該当する集団の規模というのは、150人という数が出てきたんですよ。この150人というのを、ロビン・ダンバーの名前を取ってダンバー数と言います。
これは面白いんですよ。現代でも食料生産をしないで暮らしている人々を狩猟採集民と言いますが、この人たちの平均的な村の規模は、世界中どれを取っても150人だという数字が出ている。そうすると、我々現代人が言葉を喋り始めても、1万2000年前に農耕牧畜が始まるまでは、狩猟採集生活をしていたわけだから、150人ぐらいの集団規模で暮らしていたということになりますよね。そうすると、言葉は集団を大きくするために役立っていないということになる。
現代人の脳の変化
もっとあるんですよ。農耕牧畜が始まって食料生産をするようになって、人口は徐々に多くなりましたよね。今、我々数千人〜数万人という規模の社会で暮らしている。でも脳は大きくなっていないんです。逆に脳は縮んでいるんですよ。農耕牧畜が始まった頃の脳の大きさから比べると、現代人の脳は10%〜30%縮んでいます。
なぜでしょう?これは皆さん後で解いてください。これは私からの質問です。
集団規模の現代的意味
もっと面白いことがある。人類が進化のプロセスで作り上げてきた脳の大きさと、集団の規模というのは、現代も残っているんです。
10人から15人。これは脳が大きくなる前の集団ですよね。これ、現代で残っている集団って、何だと思いますか?スポーツの集団なんですよ。ラグビーは15人でしょう?サッカー11人。このくらいの規模でないと、チームワークは作れません。もちろん練習する時はプレイを言葉で解説し合っているかもしれないけれど、いざ試合になったら言葉で話し合う時間はないですよね。試合をしている時は、手振り身振り、あるいは体の動き、目配せ、声、そういうもので自分の意図を伝え、仲間は即座にその意図を理解して身体を共鳴させる。それがチームワークじゃないですか。
実際、私が調べているゴリラだって、言葉を喋らないのに、群が1つの生き物のように動くことができる。こういう能力を人類はまだ持ち合わせているんですよ。
じゃあ、脳が大きくなった時に出てきた30人〜50人という集団は、一体何か?
皆さんすぐ頭に浮かぶと思うんだけど、学校のクラスですよ。学校のクラスは、毎日顔を合わせているから、顔と性格が一致していて、誰かが欠けたらすぐ分かる。誰かが手を挙げて提案したら、その提案通りに、みんながかろうじて分裂せずに付いていける。だから学校の先生が1人でクラスをコントロールできるわけでしょう。
学校のクラスだけじゃありません。宗教の布教集団、軍隊の小隊、会社で言えば部や課の規模が、これにあたります。
社会関係資本としての150人
じゃあ、現代人の脳の大きさに匹敵する150人は一体何なのかって言うと、これは、「社会関係資本(ソーシャルキャピタル)だ」と私は言っています。
それは何か。何かトラブルや悩みを抱えた時に、疑いもなく相談できる相手の数の上限です。上限だから、普段はこんな数ないですよ。でも、これが上限だから、それ以上拡大できなかったということでしょう。
しかも、これも言葉でできているわけじゃありません。過去に喜怒哀楽を共にした仲間。あるいは、一緒に身体を共鳴させて何かをした仲間。スポーツでもいいです、コンサートでもいいです。歌でもいいです、ボランティアでもいいです。そういう一緒に身体を共鳴させたことのある経験が、これを作っている。ここにもう言葉は原則として介在していないんですよ。
おそらく言葉というのは、この社会関係資本の150人の外にいる人たちと付き合うために生まれたんじゃないかと、私は思っています。
現代生活における共鳴と音楽的コミュニケーション
それを現代の生活に落とし込んでみると、何が言えるか。
共鳴するのは家族ですよね。あるいは親族と言い換えてもいい。それが10〜15個ぐらい集まって、地域コミュニティを作っている。150人ぐらいからね。
ここで人と人とをつなぎ合わせているのは、言葉ではなくて、音楽的コミュニケーションだと思っています。
お祭りのお囃子がかかると、みんな同じように体が動く。これは地域の文化ですよね。これは音楽そのものと言ってもいい。もっと拡大して考えてみましょう。服装、マナー、エチケット、そして食事、家並みや家の調度品や家の構造そのものも、人と人との交流を自然の流れに沿って動かすようにできています。
それを我々は意識しない。意識しないということは、それが人々の交流をうまく司っているということに他ならない。
これは言葉じゃないんです。音楽なんですね。意味を持つ言葉というのは、その外にいる人たちと様々な交渉をするためにできた。さっきと同じなんです、そういう風に思っています。
対面コミュニケーションの進化
じゃあ言葉の前にどんなコミュニケーションがあったのか。
今、我々は言葉を手放すわけにいかないから、それを想像することができません。それを未だに言葉を喋っていないゴリラたちが教えてくれる。実は、日本ザルという猿とゴリラやチンパンジーという類人猿の間に、大きな境目があります。それは、対面交渉ができるか/できないかということなんですね。
猿と類人猿の対面交渉の違い
さっきも言ったように、猿の間ではね、対面するということが、強い猿の特権になってしまっているから、強い猿から睨まれたら弱い猿は視線を避けなければいけません。だから、対面という姿勢は長続きはしない。
でも、ゴリラは顔と顔とを近づけて対面交渉しているんですよ。
出典:https://www.youtube.com/watch?v=mR4gBWfy-IU&t=2590s
人間の対面コミュニケーション
皆さんもここに来るまでに、いろんな人と対面してきたと思います。それは、基本的にゴリラの対面交渉とあんまり変わらない。でも、人間の場合には、ゴリラと違って、距離を置くんです。1mぐらい距離を置いて対面するのが、自然な対面ですよね。なぜそんなことをしているのか?
おそらく皆さんは、「話しているからだ」とおっしゃると思うんです。そうです、我々、話しています。でも、我々研究者は天邪鬼だから、話をするというのは、声を出して意味を伝え合うコミュニケーションじゃないですか。だったら、別に後ろ向いていたっていいでしょう。横向いていたっていいじゃない。声聞こえるんだから。と考える。
人間の目の特徴
なぜ対面するのか?
その理由を私の同僚たちが調べてくれました。
対面するという行為では、類人猿は人間に似ていました。でも、目の形は猿の目なんですね。
人間の目だけが違う。何が違うかと言うと、白目があるんです。この白目があるおかげで、対面して1m離れると、相手の目の微細な動きから相手の気持ちを推し量ることができる。これが重要なんですね。しかもこの能力は誰も親から教わっていないし、学校でも教わっていないはずです。人間は、生まれつきこの能力を持っている。
出典:https://www.journal.ieice.org/conts/kaishi_wadainokiji/199906/h110601.html
人間に近いチンパンジーやゴリラが、この目を持っていないということは、人類の進化の中にだけ、この白目が現れたということを示している。相手の気持ちを読むことができるということは、共感能力を高めることにこの目は役立ったはずですよね。
じゃあ、なぜ共感能力を高める必要があったのか・・・!?
<今回はここまでです。気になる続きは次回!>
山極 壽一(やまぎわ・じゅいち)
総合地球環境学研究所所長。京都大学理学部卒、同大学院理学研究科博士課程退学、理学博士。 (財)日本モンキーセンターリサーチフェロウ、京都大学霊長類研究所助手、京都大学理学研究科助教授、教授、同大学理学部長、理学研究科長を経て、2020年9月まで京都大学総長を務める。日本霊長類学会会長、国際霊長類学会会長、国立大学協会会長、日本学術会議会長、環境省中央環境審議会委員、内閣府総合科学技術・イノベーション会議議員を歴任。2021年4月より総合地球環境学研究所所長を務める。鹿児島県屋久島で野生ニホンザル、アフリカ各地でゴリラの行動や生態をもとに初期人類の生活を復元し、人類に特有な社会特徴の由来を探っている。新著に『共感革命 社交する人類の進化と未来』(河出書房新社)がある。