広報にしあわくら 2022年 3月号より

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特集 西粟倉の山
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特集 西粟倉の山

株式会社百森 代表 田畑 直 さん

ー 西粟倉の山 ー
 百年の森林事業着想から約13年。「森林リデザイン」など時代と共に山への考え方は変化しています。昔と比べると木の価値は下がり、ある程度山をまとめた上で手入れしていかなと成立しないというのが日本の林業の現状です。西粟倉村では自治体が中心となって様々な所有者から山を集めてとりまとめて整理しようというのが百年の森林事業のスタートでした。
今回は、森林組合と役場から、その百年の森林事業に関する実務を受け継ぐ形で設立された、株式会社百森の代表である田畑直さんにお話を伺いました。 

株式会社百森に至るまでの経緯を教えて下さい
 田畑さん(以下敬称略)もともと百森の森林事業は、山主さんと役場、それに森林組合の三社契約が基本でした。しかし、大きく合併した森林組合は村だけに注力できないこともあり、契約交渉や補助金関連業務、監督業務などを役場が行っていました。
これは全国的に珍しいことです。しかし、役場は異動があるので、数年で山の担当が変わります。そうなるとどうしても情報の引継ぎが発生し、事業スピードは遅くなります。
そこで平成28年頃、役場や森林組合、製材所などを交えた会議(百年の森林構想ステップアップ計画策定協議会)を経て、村内で専門的な山林管理組織の設立を目指すことになりました。組織立ち上げを行う人員の公募があり、応募したのが私と共同代表の中井というわけです。
その後の事業展開を見据え、株式会社として、専門的な森林管理組織の「株式会社百森」を設立したのが平成29年のことです。それまで役場と森林組合が行っていた事業を部分的に受け継ぐ形で、百年の森林事業を進めています。具体的には、西粟倉村役場から百年の森林構想推進に関する事業委託を受けている形になります。

どうして立ち上げに応募されたのですか
田畑 中井がエネルギー関係の仕事をしていて、エネルギーの中でも木質バイオマスも勉強したいということで更にその背後にある林業に関する情報を集めていました。その中で、森林管理組織の立ち上げ人員募集記事を発見したようです。そこから心細いから一緒に遊びに行ってみないかと声をかけられました。中井とは小学校の同級生です。何回か西粟倉へ来ているうちに、僕自身もこれは面白そうな世界だなと思い、今に至ります。

今の西粟倉の山はどんな状態ですか
田畑 西粟倉には330万本のスギやヒノキが植えられており、戦後の拡大造林期、1950、60年頃を中心に植えられたものです。樹齢にして60年程度ですね。残念ながら、丁寧に手入れがされている山が多いとは言えません。
もちろん代々受け継がれ維持されている山もありますし、自分の山は自分で管理するという気概がある方もまだまだおられます。心強い限りです。しかし、しばらく人が入っていない状態の山も多く見受けられるのは事実です。百年の森林事業では、そういった山の間伐を進めています。

森林リデザインとその取り組みについて教えて下さい
田畑 もともと百年の森林事業では100年生の山を作ることを掲げています。しかし、具体的にこれから数十年先の山がどうあるべきかを考えた時に、スギやヒノキばかりが多い山で、それも100年生の木だけが存在していることが村にとっていい状態だと、簡単には言え切れません。例えば、スギやヒノキといった樹種は日本全国で大量に植えられているわけです。国全体で在庫を抱えています。その中で、同じようにスギやヒノキだけを育て続けることは、一種の賭けです。また、防災の観点からみると、西粟倉村では山の尾根部分にもヒノキが多く植えられています。大きくなればなるほど風の影響を受け、土質の悪いところでは自然災害時に被害拡大のおそれがあります。
そのように多彩な観点から、山の将来のついて改めて考えましょうというのが「森林リデザイン」です。役場の事業で、株式会社百森は昨年度のコンソーシアム(同じ目的をもって結成される事業団体)に参加していました。
具体的な取り組みとしては、まず村を10m×10mのメッシュに細かく区分けし、ここはヒノキがよく育つ場所だとか、ここは防災的に広葉樹が必要な場所だとか、区分けごとに検討していると聞いています。いわゆる「ゾーニング」と呼ばれる作業ですね。
先人の方々が頑張って植えてきたスギやヒノキをいきなり放棄するというのは生産性もありませんし不可能ですが、スギ、ヒノキの一点張りからの脱却は、村の将来を考えると有益だと思います。

西粟倉村の山が抱えている課題は何ですか
田畑 50年後の村にいる子どもたちが「山があってよかったね」と言える状態にしなくちゃいけない。これが大きな課題です。
 昔はスギ、ヒノキがしっかりとお金になる時代がありました。そして孫の世代に財産を残そうと植林に励まれた結果、西粟倉は全国平均よりもはるかに高い人工林率を達成しています。これは凄いことです。
 この資産を、どう工夫すれば次の世代に喜ばれる形で引き継ぐことができるのか、正直まだ明確な答えはないんですよいね。でも、いまの山林を管理する、私たちが考えて挑戦し続けるほかありません。
あと、農家だったら毎年何かしたらの収穫やそれに向けた試行が出来ます。しかし、丸太の収穫は少なくとも半世紀。それだけで勝負するのは厳しいです。山林を舞台に、利益が得られるほかの方法が無いかを考えることも、これから重要性を増すと思っています。山は単なる「スギ、ヒノキの畑」ではないので、もっといろんな価値が発揮できる場所をして、多くの人に親しんでもらえるはず。株式会社百森はその案内人になることを目指しています。
西粟倉は、素材生産、製材や木工という、森と人が関わるための背骨がしっかりしています。協同組合もできました。未来を見据えて挑戦する仲間も大勢います。明るい未来が勝手におとずれることは無いでしょうが、自分達でつくることは可能そうです。

村民との関わりについて
田畑 山を預かる大切な仕事を、僕のように他所から来た人間がそう簡単にできることは思っていません。何をするにも信頼がなければ話になりませんし、信頼していただくには、一歩一歩地道にやっていくほかに無いですね。
あと、百年の森林事業では、ご自身で管理されている山を無理に奪おうという気持ちは全くありません。でも、管理がつらくなってきただとか、どこに自分の山があるかわからないだとか、ちょっと案内してほしいだとか、山に関して気になることがあったら、いつでもお気軽に相談いただけると嬉しいです。
週末には塩谷の山へ度々訪れているという田畑さん。西粟倉の山について、「森林」という西粟倉村の先人たちの意志を受け継ぎながら、新たな価値を見いだすために活動されていました。

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