【小中同窓生通信 vol.1】温かい場所があるありがたさ

みなさん、こんにちは。西粟倉村出身の宮本瑠士(みやもと りゅうじ)です。

今回は、村外で暮らす村民として、私の近況をお伝えさせていただきます。

まずは、簡単に自己紹介をさせてください。

私は西粟倉村で育ち、大学進学を機に大阪へ移住し、現在は東京のコンサルティング会社で働いています。

今年の4月から東京での生活が始まり、満員電車に揺られながら、忙しい毎日を過ごしています。

時間に追われる日々の中で、都会の生活にも徐々に慣れてきました。

さて、本題に移りますが、今回この文章を執筆するにあたり、初めて村外に出たときのことを思い出しました。

私が初めて村を離れたのは高校生の時でした。

村には高校がないため、津山市の高校に進学し、男子寮に入ったのです。その当時の記憶は今でも鮮明です。

西粟倉村では、すれ違う人が皆顔見知りで、挨拶を交わすのが当たり前の文化がありました。

学校でも「あいさつ運動」が盛んで、誰にでも挨拶をする習慣が自然と身についていました。

そのため、津山に出たばかりの頃、休日に街を歩きながらすれ違う人々全員に挨拶をして、驚かれたこともありました。

今振り返れば、あの驚きの表情も微笑ましい思い出です。

迫力があり、きれいな風景ですが、どこか寂しさと残業しているオフィスの光が輝く東京駅付近

しかし、ここ東京では、津山どころではありません。

今、東京に住んでみて改めて感じるのは、東京は本当に便利で刺激的な街だということ。

でも、その一方で、人と人との間にどこか寂しさを感じる場所でもあります。

それは単に挨拶が少ないというだけでなく、人々が互いにあまり関心を持たず、距離を取る文化があるからかもしれません。大都市の喧騒の中で、多くの人がすれ違いながらも、お互いをあまり意識しない。

大勢の人が行き交うにもかかわらず、どこか孤独感が残るのです。

東京にはたくさんの人が集まり、情報や物が溢れていますが、それと引き換えに失われているものもあるのではないでしょうか。

そんな環境に、時々心が冷たくなるような感覚に陥ることがあります。

東京は多くの人が集まる大都市でありながら、温もりを感じにくい場所でもあるのです。

一方で、西粟倉村のことを思い返すと、あの小さな村には大きな温かさが詰まっています。

村民同士の繋がりは深く、心にぬくもりを感じさせてくれる場所です。

都会の喧騒の中にいても、ふと村の風景を思い出すことがあります。

その時、改めて感じるのです。小さくても、温かい場所があることのありがたさを。

この村のことを語り出すと、どうしても一言では済まないので、また次の機会にじっくりと私の村への思いをお伝えできればと思っています。それでは、また。

宮本瑠士(みやもと りゅうじ) プロフィール

2000年 西粟倉村に生まれる
西粟倉村立西粟倉小学校・西粟倉中学校卒業
岡山県美作高校卒業
大阪経済大学卒業後
経営コンサルティング会社に入社

・学生時代に地方創生サークルを設立
・村内でオンライン個別塾を設立
・村出身の若者の団体「あわくら未来会議」の代表を務める

将来の目標:西粟倉村長になって村を守ること
「地元を守りたい。10年先50年先も持続可能な村であり続けたい。」

この記事はリレー形式で西粟倉村の同窓生に連載していただく予定です。次回は河野友亮さんです。